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Fionaの「オ〜! サイゴン」

ここでは、サイゴン在住の親友Fionaさんによる、サイゴン/ベトナム情報をお届けします。

Fionaのベトナム「ドックバオ」新聞はこちら

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Vol.030「ベトナム語のこと」 2003.3.31

 あまやんからベトナム語の質問があったので、今日はベトナム語のことを少し。私はベトナム語を先生にちゃんとついて勉強してからまだ1年半、しかも仕事をしながら週1〜2回、1回1時間半のレッスンだったので、まわりのベトナム人からは「2年もいる割にはへただな〜」といわれます。(ベトナム人も日本人と同じようにお世辞をいいますが、親しくなると容赦なくけなされます) でも、そういうベトナム人が比較しているのは、こちらで毎日勉強している留学生や、外語大ですでに勉強していた人、企業でみっちり研修を受けている人たち。週1〜2回ではなかなか上達しません。また、職場環境も英語と日本語が中心で、電話や来客で簡単なベトナム語で対応するぐらい。P氏は私のベトナム語が上達してしまうと、いろんな秘密が露見してしまうのではと心配して、私がベトナム語で話し掛けてきてもベトナム語で返答する始末…。ま、馬鹿みたいな話とかベトナムに対する不満を話すときは、周囲にわからない日本語で会話できるのは便利ではありますが。
 ベトナム語はあまやんのいうとおり、文字=発音記号になっているため、文字そのものを勉強するのはそんなに難しくないともいえますが、発音自体がひじょ〜に難しく複雑なため、そこで躓いて勉強をやめる人は多いです。
 まず、声調が6つもあります。平坦、上がる、下がる、波打つ、もっと波打つ、低くとめる、の6つ。さらに母音が、アが3種類、イが2種類、ウが2種類、エが2種類、オが3種類、さらに二重母音もあります。日本でなじみのない発音としては、pha(ファ)、va(ヴァ)、ra(巻き舌に近いラ)、tha(強いタ)、kha(強いカ)、ngu・ngha(強い鼻濁音のグ・ガ)など。末子音も、ンだけで4種類あるし、他は口の形だけで音を出しません。(だから、ベトナム人が英語をしゃべるとき末子音を発音しないことが多く、聞き取りづらい) そして、北部と南部、各地方では発音がかなり違い、よその地方の人のしゃべっていることが同じベトナム人でもわからないことがよくあります。ですから、旅行者や駐在員のおじさまがカタカナ発音でがんばっている姿をたまに見ますが、普通のベトナム人には通じません。ベトナム語は、単語は一音節からなっており、発音の違いで異なる意味を表現しているわけです。さらに発音を間違えて覚えると、発音記号である文字も間違えて書いてしまうことに。ベトナム人でも地方出身の人は発音の違いから書き間違えることが多いようです。ベトナム語は1に発音2に発音、3も4も5も発音です。英語が日本語英語の発音でも通じてしまうのに比べると、非常に難しい言葉だと思います。
 文法は英語より簡単なような気はしてます。語順は英語と同じく主語・動詞・目的語の順で、動詞の語形変化や名詞の複数形がないのでその点は楽。日本語・英語との大きな違いは、形容詞が後ろから前にかかることです。例えば、日本語で「美人」(美しい→人)となりますが、こちらは「Nguoi dep(グゥィ デップ)」(人←美しい)となる。文法ははじめは簡単ですが、上達してきて長文に挑戦すると、どこに文がどうかかっているのか混乱してきてわからなくなったりしてきます。
 単語自体は、ベトナム語はもともとチュノムと呼ばれる漢字をベトナム語にアレンジしたものを使い、中国語の漢字をそのままベトナム語として使用したものが多いので、中国語とよくにており、つまりは日本語とも似ているものが多いです。似ているものの例としては、「quyen luc(クィン ルック、権力)」、「sa mac(サー マック、砂漠)」「cong an(コン アン、公安)」、「chu y(チュー イ、注意)」「lac quan(ラック クァン、楽観)」など、あげたらきりがない。私の印象としては、北の発音より南の発音のほうが日本語の発音に近いです。ただし、こうした中国語からきている言葉は、北部の人がよく使い、南部では会話で北の人ほど使いません。ですから、南の人が北の人のしゃべっていることを聞くと、演説のように聞こえるし、逆に北の人からみると、南の言葉はぞんざいに聞こえるようです。
 あと大変なのは、人称。「私」のことをどの教科書も「Toi(トイ)」というと最初は教えますが、Toiというのはえらく他人行儀、「あなたと私は何の関係もない」といったニュアンスの言い方で、通常は相手との関係にあわせて人称を使い分けなければなりません。私の場合ですと、P氏に対しては彼女、あるいは年下を表す「em(エム)」、年下の同僚に対しては、彼女が年下なので、年上(あるいは年齢を知らない仲)の同年代の女性を表す「chi(チ)」、住んでいる家の子供に対しては、叔母さんぐらいの年齢(他に女性の先生、上司など)に使う「co(コ)」、もし自分が母親になれば子供に「me(メ、母親)」と言う。うわ、書いてるうちにわからなくなってくる! そして、この人称は、しゃべっている相手にも同様に適応するわけで、これを間違えるととても変な感じになったり、誰のことを言っているかわからなくなったり、悪くすると非常に失礼になるようです。
 と、ベトナム語をわかったように書いていますけど、こんな私も、新聞の翻訳は辞書を引き引き何とかできても、しゃべるのは簡単なことばかり。とっさに口について言葉が出ない上、相手の言っていることに耳がついていかないんですよね。あとから反芻して「あ、あのことをいってるのか」ってわかることもしばしばです。文字が発音をあらわしているせいか、いったん頭の中に文字を思い浮かべてしまうのがいけないのかもしれない。また、単語が短すぎてぜんぜん覚えられず、何度も同じ単語を辞書で引いてしまいます。その上、多くのベトナム人は、外国人だろうとお構いなしに自分のペースでしゃべる。内容が察しがつくようなものはわかりやすいですが、突然話し掛けられると、もーぜんぜんわからない。毎日がっくりすることばかりです。
 こんな苦労の毎日ですが、ベトナム語に興味のある方、ぜひ挑戦してみてください。ね、あまやん。
※注:カタカナで書いたベトナム語は、南部発音を元にしてむりやりカタカナにしたものなので、そのままベトナム人に言ってももちろん通じないです。また、アルファベットも、ベトナム語には声調や発音の記号がついていますが、このページ上では入力できないので、ご了承ください。

看板の文字が、アルファベットに変なひげみたいな記号などがついているのがわかりますでしょうか。ちなみに画像は、中国人街にある、ウェディングドレス屋さんがならんでいるところです。3000円ぐらいからつくれます。


 あまやんです。4月初旬にベトナムの首相が日本に来ることになり、あまやんは当日のカメラ係として、今その受け入れ関係の仕事をやっています。その関係で、ベトナムの人とも毎日打ち合わせをしたりしてるのですが、ベトナム語に限らず、相手の国の言葉が、あいさつ程度でもできたら、相手の人の顔つきも、雰囲気もぜんぜん違ってなごんできたりします。そこであまやんも、いろんな本やテープで覚えたベトナム語であいさつしようとして、「シンチャオ、トイテンラー あまやん」とかトライしてみるんだけど、ぜんぜん通じないんで弱ってたんだけど、そういうことやったんだね。ちなみに、あまやん「旅の指差し会話帳」というシリーズが好きで、いろんな言語のを10種類くらいもってて、このベトナム語版をベトナムに行く時にもっていって、いろいろ音を教えてもらったのですが、何回発音しても「それは違う」といわれ続けたような思い出があって、ベトナム語はあきらめかけてた、という感じ。子供の頃から聞いた音でないと聞き分けるのは難しいのかも知れbないね。でも、日本語と同じ単語がけっこうある、というのははじめて聞きました。北の方が難しい単語を使って、南はカジュアル、というのもおもしろい。なんか東京弁と大阪弁みたい。ウエディングドレス、とっても安いんやね。日本から買いに来る人もいてるんかな?ベトナムでも最近結婚式は伝統的な衣装よりもウエディングドレスが主流になってきてるのかな?そういえば、昔、阪神大震災の時に避難所にいて、救援物資の仕分けをしてたら、大きな箱が、開けたら中古のウェディングドレスが出てきてみんな唖然とした事件を思い出しました。



Vol.029 「新聞の翻訳はじめました」2003.3.30

 突然、私のベトナム語の家庭教師をしているTさんが「夜学校に通いたいので、辞めます」と宣言し、独学でベトナム語を勉強することになってしまいました。そうなると、ずるずると勉強しなくなるのは目に見えているので、自ら「宿題」を作ろうと、ベトナムローカル新聞の日本語訳をちょっとやってみようということに。でも、誰かが監視してないと、宿題なんてやらないもの。それでその宿題をUPするHPを開設しました。Fionaのベトナム「ドックバオ」新聞です。ドックバオはベトナム語で「新聞を読む」ということ。私の目にとまった新聞記事を翻訳して載せます。まだ今日はじめたばかりなのですが、監視する人がたくさんいないとやらなくなっちゃうので、さっさとみなさんにお知らせします。
 やりはじめて気がついたのですが、ちゃんと翻訳してみないと、その記事がおもしろいのかどうか今ひとつよくわからない…。訳してから「思ったよりおもしろくないな〜」と思っても、宿題なので載せちゃいますのでご了承ください。
http://www3.diary.ne.jp/user/319250/


 ベトナム語というのはアルファベットで表記されているので、タイ語やカンボジア語に比べたら文字のハードルはないのかなとは思うけど、クエスチョンマークやいろんなアクセント符号がついていて発音が難しそうな感じ。でも昔はベトナム語は漢字で表記していたらしいね。Fionaさん勉強しててどう?難しい?ベトナム語はどういう構造なのか、想像もつかない言葉だけど、マスターするのはどれくらいかかるのかな?日本人にとっては難しい言葉なんかな。でも、生活の中で必要を感じつつ、耳から覚えていくという環境は大事だよね。また教えてちょうだいね。この翻訳記事の中で、お土産屋でぼることをベトナム人がどう考えているのるか、というのが特におもしろかった。ベトナム人(インドネシア人もそうだけど)にとっては、お金をたくさんもっている外国人がたくさん払うのは当然であり、定価などなく、交渉で決まるのが当たり前、というのが社会の常識と思ってたからです。やっぱり外国のメディアを読むのは大事だよね。おもしろい記事をいろいろ紹介してね。期待してます!あまやん。


Vol.028 「テト(旧正月)の遊び」2003.3.29

 私は12月末からず〜っと年末年始を引きずっているような気がする。というのは、12月末は日系企業関係の仕事をしている私はばたばた忙しかったんだけど(ベトナム人にとってはあまり新暦の正月は関係ない。1月1日が休日になるだけ)、そのあと、ベトナムは旧正月を迎え、1年間で唯一の長期の休みとなるため、それまでまたばたばた忙しく、やれやれ正月もおわってみーんな正月ボケしてるよな、という状況の中で、年度末にむけてまっしぐらに忙しくなってしまった。忙しいのがいやでベトナムに来たようなものなのに、残業代なしで、ベトナム人がとっとと帰った後一人で仕事をしているのは、自分が日本人だと自覚する瞬間である。
 で、ずっと忙しかったので、今ごろ旧正月の話です。ベトナムでは旧暦の正月を祝いますが、これをテトといいます。ベトナム戦争の「テト攻勢」で、テトという言葉は学生時代にきいたことがあるかも。今年は2月1日が元旦、政府は大晦日と三が日を旗日としているのだけれど、今年は1日2日が土日となったため、振替で4日5日と休みになりました。私は忙しかったのでカレンダー通りに出勤したけど、ベトナム人の多くはこの時期1〜2週間お休みします。ベトナムでは「(旧暦)1月は遊びの月」といい、はっきりいって仕事をしない。正月だけ禁止されている賭け事をおおっぴらにやってもいいことになっているんだけど、その延長でしばらく賭け事にのめりこむ人が多い。P氏もその一人。普段は賭け事はワールドカップサッカーでの賭けぐらいしかやらないのですが、今年はなぜか周りが皆のめりこみ、P氏も「みんながやりたいって言うんだもん」とかなんとかいいつつ、ひどいときは朝の4時まで賭け事に興じておりました。本人はなれていないので「すぐ終わるからちょっとまってて」というから待っていると、平気で7時間ぐらいやっている。私はそのあいだずーっと本を読みながら待ってました。おかげで、テトだけで1年分の本を読むことができた。サイバラの本をいっぱい貸してくれたKさん、帰国の置き土産にいっぱい本をくれた某商社の所長Aさん、どうもありがとう・・・。P氏がトータルで大負けしなかったことがせめてもの救いです。
 で、旧暦の1月15日(いわゆる小正月)に、ベトナムではお寺参りをする習慣があり、その日は斎食をしてさあ出かけようというとき、いつも仲間が集っているカフェによったのがまずかった。そこでカードゲームがはじまってしまったのである。おかげでお寺参りにいくことができなかった上、P氏はいつになく大負けして、日本円で3万円ちかくすってしまった。私の同僚のベトナム人スタッフの給料ぐらいの金額である。さすがのP氏も「もうやめる」宣言をしたのでした。
この日負けたのはお寺にいかなかった罰かな、ということで、おくればせながら翌日お寺参りに。ヴィンギエムという名前のお寺で、日本留学から帰国した僧侶が開いたお寺ということで有名で、ガイドブックにも載ってます。15日だったらひどい人ごみだったのでしょうが、1日遅れなのでそれほど人はいない。P氏いわく「僕は頭がいいな〜。昨日だったら混んでてお祈りできなかったよ」。そしてお祈りしたことはもちろん「賭け事に勝ちますように」でした。おいおい、やめたんでないのかい。そしてちゃっかりその帰りにカフェに寄ってカードゲームをやり、5000円ほど取り戻したのでした。
 というP氏も、今はぱったりやらなくなりました。私もそういえば一時期パチンコにはまってたっけ。最初のころはばかすか勝っていたのが半年ぐらい経ってトータルの勝ち負けが0円になり、最後の日、ひとつの台に6万円つぎこんだところで台を立ったら、次のオヤジが大当たりを出しちゃって、それで馬鹿らしくなってやめたんだっけ、なんてちょっと切ないことを思い出しちゃいました。

Chua Vinh Nghiem(ビンギエム寺)。訪れるのは、P氏に初めて会った旅行のとき以来2度目。日本の曹洞宗から寄贈された「平和の鐘」がある。 入った瞬間から、線香売りに声をかけられる。こちらの線香は竹串に線香が塗りつけてあり、40cmぐらいの長さのもの。良い香がする。 お寺の前や境内には、鳥かごに押し込められた小鳥を売る人がいる。これを買って逃がしてやると、罪が償えるらしい。
境内に入るまえに何箇所もまわってお線香を供えた後、中へ入ると金ぴかの仏像が鎮座している。 本草の裏手に回ると、反対向きにまた仏像が鎮座している。後光が現代風。この周囲には、檀家の人々のものらしき遺骨や位牌がずらっとならんでいる。 カフェでのカードゲーム。大富豪大貧民に似たゲームが主流。P氏の仲間は、ルールがよくわからないけど、カードをすべて配って、それをポーカーのような要領でカードを3段構えにそろえるらしい、えらい複雑なゲームにはまっていた。みんな要するに暇なのよね。

 クリスマスクリスチャンであり、葬式仏教徒であり、お金もうけの神様ゑべっさんも信じている典型的な日本人の宗教観のあまやんですが、ベトナム人も同じような感じなんかな?旧正月は中国や東南アジアでは、クリスマスや元旦よりもずっと大事なイベントで、役所や会社も全部休みになるんやよね。テトは、社会衆国ベトナムでは、宗教的なイベントというよりは、年に一度のお休み、という感じになってるのかな?日本でいうようなお盆みたいのはないのかな。さて、お寺は日本のお寺とよく似た感じだけど、仏像の後光が電気になっているのがおもしろいね。なんか紅白の時の小林幸子みたい。よく日本では、競馬や競輪にこって、サラ金から借金して大変な目にあって悲劇が起きたりしてるけど、ベトナムでもそういうことはあるのかな。



Vol.027 「P氏の一番の思い出」2003.3.23

 戦争がはじまっちゃうし、ベトナムではなぞの肺炎が流行するし、で、旅行記なんか書いてる場合じゃないよと怒られちゃいそうですが、とりあえず、旅行記最終回、今度こそ。
 P氏のバンコクの大目的は買い物(ほとんど見てるだけ)なのであるが、もうひとつの目的は、ベトナムにはない「風俗」を体験すること。社会主義のお国柄、ヌードなんてもってのほか(海外からの雑誌、ビデオなどにも検閲がしっかり入ります)、その手の遊びをするところがないので、ガイドブックのゴーゴーバーの個所ばかり、読みふけっていた。案の定「ゴーゴーバーにいきたい!」といいだしたのだが、私も疲れがピークに達していたので、「ゴーゴーバーではぼったくられたり、いろいろ怖い目にあうんだよ〜。たいへんだよ〜」と脅かしたりして、行かない方向に話をすすめてみた。彼は最初「一人でもいく」といっていたが、さすがにそのようなところに足を踏み入れたことがないし、言葉も自信がないし、「Fionaが疲れてるからしょうがない、帰るか」みたいに装って、その夜はおとなしくホテルに帰ったのである。
 最終日になって、私もやっぱりバンコクにきたんだから、夜を楽しまんといかん、という気になり、かねてからうちの大家さんに「ニューハーフのショーはおもしろいわよ〜」といわれていたこともあって、「カリプソ」というニューハーフショーで有名なカフェにいってみることにした。最終日なのであれもこれも、といろいろやっているうちに、時間があっという間にすぎてしまい、本来ならあらかじめ旅行会社でクーポンを買っておくと安いらしいのだが買う暇もなく、当日直接カフェへいくことになってしまった。
 カフェにつくと、すごい人。入場券を買い求めるとワンドリンク付700バーツ(2100円ぐらい)とかなり高い。しかも、もういい席があいていない。入場して最初は後ろの端の席に座っていたのだが、突然支配人ぽいおじさんがやってきて、「前の席を予約したお客さんがこないので、席を移りませんか」と案内され、中央まん前で、かぶりつきで見ることができた。ラッキーである。
 さて、P氏の反応。まず、当然写真をとりまくる。(が、途中でフィルムがなくなり、かなりがっかり) カメラなしで舞台をみていたら、ステージからニューハーフに見つめられたり、ステージを降りてきたところで顔をなでられたりすると、顔がまっかっかになっちゃって、こういうことに慣れていないのが丸出しのところが、えらくかわいい。最後に記念写真をとったのだが(タダでした)、まるでとらわれた宇宙人状態である。(画像参照)彼がベトナムに戻ってから、真っ先に周りの人にしゃべりくったのは、もちろんこのニューハーフショーのこと。しかも、あんなに照れていたのに、まるで何度も見ているかのように雄弁に語っていたのは言うまでもない。P氏に今回の旅の一番の思い出はまさにこのニューハーフショーであるだろうし、そして「今度こそゴーゴーバーへ行くぞ」という決意をあらたにしたに違いない。どなたか、ビギナーにもおすすめのゴーゴーバー情報があったらおしえてください。



  あまやんです。ベトナムは健全な風俗関係はありそうでないのかな?だいぶ前にベトナムにはじめていった時に、シクロのお兄ちゃんからいろいろと誘われたけど、あれはひょっとして不健全な方やったんかな?あまやんはニューハーフ遊びにはまったことはないんだけど、前に、新幹線に乗った時に、たまたま隣に座った人がニューハーフで、3時間ほどいろんな話をしたのを思い出しました。彼女は、もう40近いのだけど、手術をするのがだいたいこの世界の人の夢で、でも海外にいって手術をするのは数百万くらいのお金がかかり、また七転八倒の苦しみを味わうことになるらしいんで諦めたそう。でも、唯一隠すことができないのは、のどぼとけだとか。ニューハーフは本物の女性以上に女性らしいので、はまる人ははなるのかもしれない。この写真のお姉さんたちも手術はしたのかな?あまやんはあんまりそういう趣味はないけどね。でも、P氏はハートで隠されてるバンコクのゴーゴーバーというと、パッポンやタニヤで、お姉さんが水着を着て踊っているあれ??ああいうのはやめておいた方が。。。。バンコクというのはそれこそ遊びではなんでもあり、というようなところでかなり恐そう。


Vol.26「バンコクで騙されてみたい!」2003.3.1

 あれよあれよといってる間に、3月になっちゃいましたね。実は私は3月が大嫌い。私の誕生日は3月なのですが、小さいころから転校が多かったせいか、3月は別れの季節というイメージがこびりついていて、いつも憂鬱な気持ちで誕生日を迎えていました。でも、ベトナムは1月から12月が「年度」ですので、3月は特別別れの季節ではないので、私にとってはかなり気が楽。ただし、日系企業相手の仕事をしているので、やっぱり3月はなんやかんやとあわただしいのですが・・・。
 さて、やっと旅行記も最後のバンコクに到着。P氏にとってバンコクでの目的はとにかく「買い物」。といってもお金がそんなにあるわけでもないので、ただひたすらウィンドーショッピングをしまくる。ベトナムは電化製品の関税が高いので価格も当然とても高い。P氏は電化製品やブランド品(アディダスやナイキ、リーバイスなど)の価格を徹底的に調査して、いろいろ悩んで結局買わない、ということを繰り返すので、同行するとかなり疲れる。私はバンコク3回目だけど、これといった観光をしたことがなかったので、とりあえずワット・ポーぐらいはいってみたい、と申し出た。二人で初めての市バス体験である。バンコクのバスにはナンバーがふってあって、そのナンバーとガイドブックに乗っているナンバーを照らし合わせてバスに乗り込み、ブリキでできた円筒状の小銭入れをもった女性からチケットを買って、ガイドブックをみせて「ここでおろして」とアピールしなければならない。慣れると安くて便利だけど、英語の表示もアナウンスもないので、たまに乗るバスが違ってて、乗ったととたんにおりる羽目になることも。
 ワット・ポーはタイ・マッサージの総本山で、巨大な寝釈迦像で有名なところ。ベトナムにはこういう派手で大きなお寺はないので、P氏もびっくり。金箔がふんだんに使われていることも信じられないようで「にせものよ〜」とずっと言っていた。
 隣にある王宮は入場料が高いのとP氏が行ったことがあるらしいので、パス。私は高いところが好きなので、ワット・インドラヴィハーンという、高さ40メートルの仏像がある寺院に行くことにする。この仏像は顔の部分まで登ることができるのだ。ワット・ポーから適当に歩いて、疲れたらトゥクトゥク(三輪オート)を捕まえようと思っていたが、捕まえたトゥクトゥクがタクシー並に高い値段でゆずらないので、もうしばらくぶらぶら歩くことにする。すると、英語の流暢な子が近づいてきて、「どこからきたの」とか「観光するならここがいいよ」とかあれこれ話し掛けてくる。私達も別に急いでいるわけではないので話につきあっていた。「トゥクトゥクに乗りたいんだけど、高くて」というと、少年は「白いトゥクトゥクがいいよ。黄色はだめ」とか、トゥクトゥクについて詳しく解説してくれるのだが、どの部分が白なのか、なんだかよくわからない。散々話した後で少年が「それなら知り合いのところに連れて行って交渉してあげるよ」というので、試しについていってみることに。なんせ私達はベトナムに住んでいるので、いろんなだましの方法を知っている。タイはどうなんだろう?という好奇心があったのだ。おしゃべりしながら来た道をかなり戻ってやっと見つけた知り合いのトゥクトゥク。英語はかたことで、気の弱そうなおじさんであったため、「ひょっとして騙されるかも?」と感じた私達の期待はちょっぴり裏切られた。少年が観光の道順をおじさんに教えてくれて、出発。(値段は忘れてしまったけど、2時間ぐらいで3ヶ所回ってもらう約束で、えらい安かった)。
ワット・インドラヴィハーンにつくと、なんだかえらい人だかり。有名なお坊さんが来て大法要をやっている様子である。こんなところに入っちゃっていいものか戸惑いながらずんずん入っていくと、知らない人が「何かのむか」と話し掛けてきて、ココナッツジュースを手渡してくれた。どうやら今日は無料で飲み物や食べ物が振舞われているらしい。だが、残念なことに、仏像の上にはあがることができず、次のお寺へ。
このあとトゥクトゥクお薦めの二つのお寺にいったが、名前は忘れてしまった。ところが、この二つのお寺では英語の流暢なタイ人3人と会ったのだが、いずれも口をそろえて「ここに来たなら宝石屋と仕立て屋に行かなきゃ」というのだ。そして、ガイドブックに載っている騙しの手口同様、「今日まで、有名な〇〇という宝石屋はバーゲンをやっているんだ。ぜひワイフに買ってあげなさい。白い指にルビーは良く似合うよ。僕も先日ワイフにルビーを買ってやったんだ」なんてことをいうのである。ここまでガイドブック通りだとちょっと笑ってしまう。P氏は試しに行ってみたいようだが、私はかなり疲れていてたので、そのままバス停まで連れて行ってくれるようトゥクトゥクに頼んだ。すると、彼がたどたどしく、どぎまぎしながら「お願いですから、私を助けてください。この宝石屋にどうしても行きたいんです」理由は、宝石屋にお客を連れて行くと、ガソリンのクーポン券がもらえるとのこと。クーポンをもらえるから格安で案内できるんだ、というのだ。なるほど。「みるだけでいいですから」というので、見るだけなら二人とも好きだし、いってみることにする。宝石屋は外からは見えないようにガラスにスモークがはってあるところから、ちょっと怪しい感じである。中にはいると数人の客がいた。女主人と思われる人の第一声は「どこの国の人ですか?」「日本人とベトナム人だ」というと、女主人はちょっといやな顔。多分ベトナム人が引っかかったんだと思う。さらに「買うつもりはあるか?」というので「ちょっとみるだけ」というと、「なら、奥まで入らないで!」と半ばしかるように言われ、おじさんがクーポンをもらったとたん「もう出てってよ」といわれてしまった。こうあからさまなのも頭に来る。ひょっとしたらいいものが目にとまって、P氏が(決して私ではない)衝動買いする可能性だってあるのに! ガイドブックによると、宝石屋に行くと「日本ではこの宝石は3倍の価格だ。買わないと馬鹿だ」と強気で言われるらしい。そして「持ち歩くと危ないから」という理由で、日本まで郵送することにするが、受け取ってみると偽物だった、という騙しの手口だということだ。しかし、騙されるのはいやだけど、はなから騙そうともしてくれないなんて、二人してちょっとがっかりしちゃいました。私達の何がいけなかったの???
本当は今回で最終回にしようと思ったけど、書ききれなかったので、次こそが最終回で〜す。

ワット・ポーの大寝釈迦像。大きすぎて向こうがかすんで見える。足の裏の不自然な指紋は、高貴な人をあらわしているらしい。

大寝釈迦像の顔。大きすぎて、柱と柱の間からやっとみえる状態。 大釈迦像の後頭部。「枕が異常に高いけど、首痛くならないですか?」と聞きたくなる。


あまやんです。ぜんぜんお金なんぞもって旅行していないあまやんも、意外と外国では金持ち日本人のカモにみえるのか、こういう客引きにはつかまりやすく、バンコクでも、同じように流しのトゥクトゥクに乗った時に、全く同じ手口でガソリン券がもらえるからと、宝石屋に連れ込まれたことがありました。やっぱり外からは見えないようにセロハンとか貼ってたような記憶あるんで、ひょっとしたら同じお店だったのかもね。で、どこに泊まっているのかと聞かれて、カオサン(バンコクで有名な安宿街。一泊150バーツくらいで泊れる)というと、店の主人は嫌な顔。で、当然何も買わずに出てきたら、トゥクトゥクの運転手も不機嫌になって、次は別の店に行く、とかいいだしたので、もう帰る、と言ったら態度が豹変し怒り出したので、ほったらかして逃げてきたことがありました。なんでも買うとコミッションが入るんかもね。多いだましの手口としては、日本までこの宝石を持って帰ってここに連絡したら、何倍で買い取る、というような話。これは全部嘘なので、みなさん気をつけてね。そういえば、イスタンブールで親切そうな人に声を書けられた時も、ユースホステルに泊まっている、というとがっかりした表情になりました。親切そうな人に声をかけられた時は、安宿に泊まっていてお金がない、というようなことをいえば、お金目的の人は自然に離れていくのかもね。お金はなくても、愛がある、というのがあまやんのコンセプトなんだけど、それが通用するかどうかは大事かも。さて、ワットポーといえば、タイマッサージの総本山。FionaさんやP氏もやてみたのかな?タイマッサージというと、Hなものを連想する人も多いかもしれないし、じっさいそういうのもバンコクには多いんだけど、ここはお寺だけあって本格派です。教えてくれる教室もやってるよ。


Vol.25 「シェムリアップ→バンコク陸路の旅」2003.2.14

  ベトナム人も夕日に向かって叫ぶのかしら? サイゴンでは乾期には毎日のように夕焼けが見られるし、日本のように高いビルに遮られることもなく、見慣れた風景なので、あまりありがたくないかもしれない。今回の旅行中、一度だけケンカというかP氏がめちゃめちゃ不機嫌になったことがあった。その原因は、疲れてちょっぴり不機嫌な私が、くたびれているP氏に夕焼けを見たいといったこと。遺跡の上から夕焼けを見ようと思って目指す遺跡まで行ったにもかかわらず、P氏が「登りたくない」と言い出したため、池のほとりで夕焼けを見ることにしたけど、P氏はなんだかずっとすねていて、夕焼けも見ずにバイクのうえで器用にふて寝していた。そのとき「ベトナム人は、夕焼けはほんとは好きじゃない」といっていたが、前日にはあんなに夕焼けをとりまくっていたくせに、その日の気分で「ベトナム人は」と言い切ってしまうのはいつものこと。でも、太陽が沈むのはあまり縁起のいいことではないのかもしれない。むしろ日の出のほうが好まれるかも。
さて、今回はアンコールワットで私とP氏が気に入った遺跡を紹介。P氏はタ・プロームという遺跡がお気に入り。ここは修復はあまり進んでいないのだが、大木に侵食されてしまっている痛々しい様が、逆に魅力となっています。
私は、友達から薦められて行った、バンテアイ・スレイという遺跡が一番好き。あまやんが訪れた当時は行くのが大変だったようですが、私たちが行ったときには道も綺麗に舗装されていたし、バイクでびゅーんと小1時間で到着。この遺跡は全体が赤みを帯びていて(赤色砂岩を使用)、他の遺跡に比べて彫刻が繊細。おすすめです。
バンテアイ・スレイから帰る途中、道端で何か売っていたので買ってみる。ベトナムにもあるんだけれど、椰子の実の一種からとった砂糖である。P氏が「チェー(ベトナム風ぜんざい)に入れるとおいしい」といって大量に買い込む。これが唯一のカンボジアみやげ。他にはP氏が自分用にカンボジアTシャツを買ったぐらいだったな。
遺跡も見たいと思っていたところは見たし、P氏はバンコクに行きたくてうずうずしているので、3泊したあとバンコクまでまたまたバスの旅へ。バスはバンコクまで11ドル。国境までは大型バスで、国境を越えるとまたまたミニバンに乗り換えるんだけど、タイに入ってしまうと途端に道がよくなって、食事と水のサービスもあり、結構快適。が、バンコクのどこに到着するか今ひとつよくわからない。シェムリアップの旅行会社の人に聞いたときも「さあ〜?行けばわかるよ」といわれ、まるでミステリーツアーのよう。バンコクに入ってから運転手さんに目的地を告げたときには、もう通り過ぎた後だったため、やむなくそこからタクシーに乗ってホテルへ向かった。しかし、当てにしていたホテルが窓のない部屋しかなく、その近くのホテルは軒並み満室。以前泊まったホテルはなんとなく泊まりたくなかったけれど、P氏がそこがいいというので、ナショナルスタジアム駅前の中華系のホテルに腰を落ち着ける。私はいろいろな宿に泊まってみたいと思う性格なのだけど、P氏は意外と保守的で、まあまあいいかと思ったらいつも同じ所にしてしまう。あまやんはどっちですか?
そうそう、国境のところでまたしても不思議なことが。なぜかP氏だけしばらく待たされ、パスポートのコピーをとられたのだ。ベトナム人が陸路で入国するのが珍しいからかな? 外国人と旅行をすると、日本人というだけで信用されるなんて便利だな、としみじみと感じます。
と、旅行記は長くなるばかりですが、次回でカンボジア・タイ編最終回で〜す。

スラ・スランの溜池から眺めた夕日。 レンタルバイクの上でふて寝するP氏。写真を撮ろうとすると「撮らないで!」
となぜか激怒り。
私のお気に入り、バンテアイ・スレイの遺跡。

椰子の実の一種からとれる砂糖。椰子の葉を乾燥させたものでうまいこと包んであります。中にはコイン型の砂糖がぎっちり。ココナツ風味の黒砂糖、といった素朴な甘さです。 バンテアイ・スレイの帰り道で、子供がドジョウのような小魚を取っていた。遊んでいるのかと思ったら、後ろからお母さんのような人が厳しい表情であれこれ指図しており、仕事だったらしい。 P氏お気に入りの、タ・プローム。

アンコールワットを眺めながらの昼食。なぜかこの周辺は焼き鳥ばかり。カンボジアはベトナムよりお米がおいしく感じた。 バスの休憩で子供達につかまる。P氏はベトナムではあまり喜捨をしないけれど、ここでは持っている小銭を全部あげてしまった。他国の人だとかわいそうにみえるのであろうか。 カンボジア-タイの国境。大きなカジノがあって、ベトナム側よりずっと発展している。

 


あまやんです。今週1週間、あまやんは仕事で、シンガポール、クアラルンプール、ジャカルタの東南アジア3都めぐりをしてきました。どこもだいたい10年ぶりくらいの訪問。3ヵ国をまわって思ったのは、どこもものすごく発展したな、ということです。シンガポールやクアラルンプールは、日本人の目からみたら、ほとんど未来の街、というような感じだし、ジャカルタも、バジャイ(オート3輪のタクシー)が激減、ベチャ(ベトナムやカンボジアでいうシクロ)は完全に消滅、コンビニやマクドナルド、スターバックスまででき、高層ビルも立ち並んで、ちょうど10年くらい前のバンコク、というような感じでした。大阪は、10年前にはスタバはなかったけど、ぜんぜん発展していないね。さて、ASEANの中で後発組といわれるベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオスの中でも、人口も多く、自然条件に恵まれたベトナムは頭一つ抜け出しているという感じだけど、そのうちマクドナルドやスタバ、セブンイレブンもサイゴンにできるようになるのかな?それから10年くらいたったら、カンボジアにもできるのかな?だんだん国が経済発展して行くのはいいことだけど、東南アジアの原風景の残っているベトナムやカンボジアのよさはなくならないでいてほしいなとあまやんは思うのでした。
 バイクの上で寝るというのは不思議だよね。あまやんもベトナムで見たことあるけど、どうして寝込んでしまっても落ちないのか、それに寝るのなら地べたで寝た方が体も痛くならずに熟睡できるのだと思うけどね。P氏の意見を聞いてみたいところです。ちょっと補足しておくと、スラ・スランというのは貯水地のようなところで、アンコールの水源になっていたというところ。子供達がジャンプして飛び込んで観光客の歓心を引こうとしています。タ・プロームはあまやんも大好き!!。ここは、あえて修復を最小限にとどめて自然のままにしてあるそうで、奥にいけばいくほど崩れていって、どこまでいけるのかいけないのかよくわからない境界のようなものがあります。あまやんもこの木のとこには行ったけど、その当時よりもずいぶん成長したような感じがするな。タプロームはかなりおすすめです。みなさんぜひいってみてね。バンテアイ・スレイはきわめて彫刻の保存状態もよくきれいな遺跡です。あまたんが行った時は、軍隊の車を傭って、警備兵をつけて、途中のチェックポイントで賄賂を払ってやっと見れる、という場所だったんだけど、今では道路も鋪装されたなんて!
 ちなみにあまやんはホテルや宿は、革新的で、いつも違うところに泊まることが多いかな。同じ街に泊まっていても、居心地がよくなかったら次々と宿を替えていく方。中華系の安宿(旅社)というところは、なぜか隣室と隔てる壁の一番上のところが穴空きのコンクリートブロックになっていたりして、隣の音が丸聞こえだったりするところが多いんだよね。前にあまやんがバンコクで1人で旅の疲れを癒すべくこの手の安い旅社に泊まった時、そういうタイプの部屋だったんだけど、なんと隣に泊まってる人がエッチをはじめて、声が丸聞こえ、そこであまやんは自分のベッドの上に椅子をのせて覗こうとしてみたところ、ブロックの穴の方向が水平なので、肝心の行為が見えず、むちゃくちゃストレスたまったことがありました。


Vol.024 「アンコールワットの年越し」2003.2.6

あまやん、風邪がすっかりなおったみたいでよかったですね。私のほうも、テト(旧正月今年は2月1日)の休み前で異常に忙しかったせいでちょびっと風邪をひいてしまいましたが、すぐに復活しました。1月31日から2月5日までがお休みだったのですが、この休みは久々に大量に手に入れた日本の本を読み漁っていて、多分昨年1年で読んだ日本語の本の数を越える数読んだと思う。ほとんどやけ読み。その辺の事情はまた後日(ムカムカ)。
ところであまやん、「クモの糸の味」っていったいどんな味なんだ??? ベトナムでも虫はよく食べるみたいですが、あまり詳しく知る気になれない・・・。「コム・ビン・ヤン(大衆食堂。大皿に様々なおかずが盛られていて、好きなおかずを選ぶ形式の安い食堂)」でも普通に見られるのは、蚕の幼虫ぐらいでしょうか。ま、あれだけ絹製品があるし、幼虫を捨てるなんて、ってことなんでしょうか。煮付けると「蛆虫」にしか見えないので、私は食べたことがありません。あまやん、今度挑戦してみてね。
さて、またまた年末年始の旅行の話。いつまでも正月気分が抜けなくてすみません。今回の旅では「アンコールワットで大晦日の日没と初日の出を拝む」というのも目的(というか目標)のひとつ。日没はよいとして、初日の出はかなり不安があった。お天気のことではない。私は小さいときから親に起こされたりしなくてもちゃんと起きて勝手に朝ご飯を食べて学校に行く、誠に手のかからない子供だったのだが、「遅刻しちゃう」という理由がなければ、いつまでたっても起きられない人間なのだ。誰にも迷惑をかけないんだったら、休みの日は昼まで寝ているという生活。こんなことでは初日の出は拝めんと、前もって親だの友達だのに「アンコールワットで初日の出みちゃうよん」というメールを送っておいた。誰かに約束している気分になれば、ちゃんと朝起きれるかなと思ったのだ。
さて、大晦日。この日はアンコールワットをとアンコールトムなどを見たあと、いったんホテルに帰って昼寝をしてから、プノン・バケンという小高い丘に立つ遺跡に出かける。ここはサンセットがすばらしいことで有名で、日中は閑散としていたのに、夕方になると観光バスやらなんやらでえらい騒ぎになっている。バスを掻き分けてすすむと、えっらい長い、階段というか、石ころだらけの急な坂道が表れた。また上るのか…。一瞬「やめよう」と言おうかと思ったけど、P氏が先に「僕ここで待ってる。Fionaひとりでいってきて」と言うもんだから、「おんどりゃなにいっとんじゃ〜!いくぞ〜!」と、張り切って登り始める。が、昼寝から目覚めたばかりで血圧が下がっていたのか(私の最高血圧は100切るのが普通です)、毎日100歩も歩かない生活をしているせいなのか(移動はすべてバイクなもんで)、坂を上り詰めたとたん、近年味わったことのないようなもうれつな吐き気がおそってきた。「まじで具合悪いらしい。駄目かもしんない」というと、P氏が冷たいペットボトルを首筋やわきの下に当てろというので、そのとおりにしてみる。しばらくすると、さっきの吐き気はなんだったの、というぐらい気分がよくなってきた。さすがP氏、一家に一台の男である。
さて、坂を上り詰めると遺跡があり、そこの急な階段をまた登らなければならない。団体客のおじーちゃんおばーちゃんや子供連れも結構いたりして、えらいさわぎ。遺跡の上に漸く出ると、すでに日曜日のハチ公前ぐらいの込み様で、こんなに人がのったら遺跡が壊れちゃうんじゃないかという凄まじさである。私は背が高いほうなので、なんとか小さい人の後ろにつく。下をみると樹海に埋もれるアンコールワットの神々しい姿が。苦労して登った甲斐があった(って、よく考えるとたいした高さじゃないんだけど)。そしてその反対側に太陽が沈んでいく。ロマンチックだ。とP氏を探すと、またまたにわかカメラマンとなって、あちこち移動しながら写真をビシバシとってました。おいおい。
というわけで、無事に大晦日の夕焼けをみて、目標の半分をクリアして街に戻ってきて、「アプサラダンス(カンボジアの伝統的な舞踏。タイの舞踏と似ているが、もっと動きがゆっくり)」を見せてくれるレストランで食事をする。このレストランはバイキング形式で、P氏にとっては目新しいのかたいそう嬉しそうであった。
レストランを出てホテルに戻る途中も、あたりは大晦日だからといって浮かれる様子もなく、街はあいかわらず暗いので、そのままホテルに帰る。「サイゴンだったら今日は楽しいのに」などとP氏はつぶやく。こいつはいつも天邪鬼なこと言うのだ。サイゴンにいればいたで、「僕は騒がしいのは本当はきらいよ(彼はちょっと女言葉)」とかぬかすのだ。
この日、アンコールワットを見ているとき、フィルムカメラが壊れてしまって、明日の初日の出を撮れるか心配だったが、P氏はバスルームを真っ暗にしてそこにこもり、何とか直してくれた。本当に一家に一台の男である。天邪鬼な性格も大目に見てやろう。明日の初日の出にそなえて、10時頃には就寝。
元旦。5時の目覚ましでしっかり起きて、私はアンコールワットの前に立っている。小鳥の鳴き声が聞こえ始め、早く登らなくちゃ、とあせる私。が、暗闇で階段から足を踏み外す。と、そこは部屋のベットの上であった。本当に小鳥の声が聞こえたので、あわてて窓の外を見ると、空が赤くそまりかけていた。やはり私は自分のための早起きは無理らしい。P氏は日の出には全く興味がないらしく、目覚ましも無視して(というか、私も無視して止めちゃったらしいんだけど)、すやすや寝ておりました。おしまい。

どちらが夕焼けでどちらが朝焼けでしょう?


 あまやんです。ここんとこずっと風邪でダウンしてたけど、ベトナムは湿度が高いし暖かいからみんなあまり風邪はひいたりしないのかな?日本ではインフルエンザ薬が品切れ状態になり、死者もたくさん出てたいへんでした。蜘蛛の糸の味、というのは、蜘蛛の糸の味、としか表現がしようがないらしいよ。虫を食べる、といえば、あまやんは子供の頃、ドッグフードやキャットフードなど、いろんなものをひととおり試食したことがあったんだけど、その中で香りがよくて、まあまあおいしいと思った金魚の餌や鯉のえさ、うらを見たら、「原材料:さなぎ、昆虫卵」と書いてあって、おもわず「うげっ!」となったのを思い出しました。夕日はとってもきれいだね。沈む夕日に向かって「バカヤロー!」と叫ぶようなことは、ベトナム人やカンボジア人はしないのかな?


Vol.023 「プノンペン→シェムリアップ(アンコールワット)」水路の旅 2003.1.26

 プノンペンは本当に小さな町である。中心街と呼べる場所ほんのわずか、しかも中心に向かう道は舗装されているが、それと交差する道は舗装されていない。ポル・ポト政権時代にプノンペン住民は追放され、美しかった街も廃墟と化してしまったが、その復興は遅々として進んでいない感じ。市場にいってみたけど、ベトナム製品とタイ製品がずらっとならんでいて、カンボジア製品は手工芸品ばかり。お土産Tシャツもタグをみるとタイ製である。ベトナム製品はベトナムで買えばいいし、タイ製品はタイで買えばいいので、とりあえず観光ということで、バイタクを2台たのんで「キリングフィールド」と呼ばれる、ポル・ポト政権時代に虐殺された人々の亡骸が眠る地にいってみた。8985名もの遺体が安置されており、周囲には掘り返された穴が無数あいている。ポル・ポト時代のことはあえて語らないが、このときベトナム人も多く殺されている。P氏にはどう映ったんだろうか。なんとなく陰鬱な空気がただよっていて、長居できなかったが、訪れてよかったと思う。
 そのあと中心街に戻って、翌日のシェムリアップ行きのエクスプレスボートのチケットを買いに行った。正規に買うと25ドルだけど、旅行代理店で買うと22ドルでホテルまでの迎えがついているので、お得である。
 その後、王宮をみて、トレンサップ川で夕涼みをしながら王宮に沈む夕日をながめ、夕食は川沿いのこじゃれたレストランでカンボジア料理を食べてみた。カンボジア料理はほとんどベトナム料理と変わらないので今まであまり感動はなかったけど、画像にある牛肉のスープは、たけのこがはいっていて、ココナッツの甘味と何かの酸味がきいていて、えらいおいしかった。P氏は「野菜食べないと『うん』がでない」と、野菜ばかりもりもり食べてました。
 翌朝、あの怪しいホテルをチェックアウトし、迎えの乗用車にのって船着場へ。同じようなボートが3艘泊まっていて、観光客でごったかえしている。観光客といえば、ベトナム人の観光客の多さにはびっくり。このボートでも、私達の座席の後ろ10名ぐらいはベトナム人の団体客、国境でも観光のベトナム人はたくさんいたし、王宮などの観光施設でもベトナム語をよく耳にした。ベトナム人も海外旅行ができるぐらい、お金に余裕ができてきたらしい。カンボジアは物価も安いし、陸路を使えば安くあがるし、初めての海外旅行にちょうど良いのかもしれない。しっかし、えらい騒がしい。
 日差しを避けるために最初はボートの中に席を陣取ったが、冷房が凍えそうに寒く、耐えきれなくなって外へ出た。外の気温はちょうど良いが、風が強すぎる。しかも、水しぶきが結構あがる。なぜか屋根の上で進行方向に向かって仁王立ちしている男性が何人もいて、我慢大会でもやっているのか?といった風情でおもしろかった。今後乗る機会がある方は、船首に陣取ることをおすすめします。風も水しぶきも防げます。
 トレンサップ川をぬけてトレンサップ湖に入ると、もうそこは海のよう。四方陸地が見えない時間が長いため、ちょっと心細い。陸地が近づいてくると、水上家屋が見えてくる。よく見るとベトナムの「ノンラー」をかぶっている人が船をこいでいたりする。このあたりはベトナム人の水上生活者が多いらしい。それをぬけるとこんどはカンボジアの水上生活者のエリアに入ったようだ。ベトナム人とカンボジア人は仲が悪いときいているが、はっきりとすみわけをしているみたい。
 船が出発して約5時間後、陸に到着すると、人がなんだかわんさかいる。ホテルの送迎の人、バイクタクなどようだ。バイタクは船まであがって客引きをやっているが、それを無視してピックアップトラックに乗る。30分近く乗るのに一人1000リエル(約0.25ドル)という安さである。おそらくホテルの客引きもかねていて、コミッションをとるのであろう。私達は紹介されたホテルにはとまらず、あれこれ探して歩くことにした。シェムリアップは観光地だけあって、プノンペンよりも道がずっといい。しかしホテルは結構高い。あれこれ探して、改装したばかりらしく、部屋も結構広めのミッタピエップホテルに泊まることに。1泊25ドルといわれたが、20ドルじゃないと泊まらないと決めていると言うとまけてくれた。
 2時ごろようやく昼ご飯にありついて、今日は市場などを散策することに。なんせ遺跡群をみるのは一人1日20ドルもかかるのだ。修復費用にあてることを考えれば安いのかもしれないけど。といっても大してみるところもないので、とりあえずオールドマーケットへ。ここにきてびっくりしたのは、ベトナム雑貨がなぜかたくさんうっていること。ノンラーまで売っている。ベトナム雑貨を持ち込んで成功しているベトナム人が結構いるのかも。そういうのがカンボジア人にとってねたましく思えるかもしれない。市場で日焼け防止に「クロマー」を買ったのだが、このお店のおばちゃんはベトナム人相手に流暢なベトナム語を話しているのにびっくり。私もベトナム語で買い物しました。「ベトナム人ですか?」ときくと、かなりとまどってから「ベトナム語は勉強したからしゃべれるだけ。カンボジア人よ」と答えたけど、顔つきがまるきりベトナム人のおばちゃん。現在はカンボジア国籍のベトナム人かもしれないし、ベトナム人とわからないように商売しているのかもしれない。ちなみに、現在カンボジアにはベトナム人が約5%住んでいて、華僑より人数が多い。一時的に住んでいる人を含めるともっと多いと思う。
 特にすることもないので、スーパーにも足を伸ばしたけど、やはり工業製品はほとんど輸入されているせいか、ベトナムより若干高め。包装されたお菓子類までほとんどタイ製品なので、カンボジアの工業化はまだまだといったところ。でも、カンボジアがもう少し発展してきたら、観光地としての今のベトナムブームは簡単に廃れてしまうかも。カンボジアにはアンコールワットの遺跡群という見所があるけど、ベトナムにはこれといって整備された遺跡はない。今ベトナム・リゾートが注目されているけど、カンボジアもリゾートに適した海はある。高級ホテルの規模も、ベトナムよりはるかに大きい。そして何より、カンボジアの男性は、ベトナムの男性よりデップチャイだ!!! これは私の周辺でカンボジアを旅した女性の多くの共通認識です。カンボジア人はいわゆる「クメール人」で、遺跡のレリーフにみられるような、鼻が低くて唇が厚いイメージがあるけど、私が思うに、インド人がこの地に盛んにやってきた時代、インド・アーリア系の血が混血して、彫りが深く、目がパッチリ、眉が濃い顔ができあがってきたのではないでしょうか。インド人ほど顔が濃すぎず、私にはちょうどいいデップチャイさ加減なのだ。このデップチャイに日本人女性のハートはくぎ付け、カンボジア大ブーム!なんてね。(あ〜、やっぱり写真とっておけばよかった!)
 で、P氏ですが、カンボジアではまるっきりカンボジア人にみられてました。遺跡のチェックポイントでチケットを2枚出すと「なんでチケットを2枚も買ったんだ???」と不思議がられる。現地のバイタクと思われているのだ。オーダーもほとんどカンボジア語できかれちんぷんかんぷん、しょっちゅうカンボジア語で話し掛けられて困ってました。ということは、P氏はカンボジア顔であるらしい。だけど、クメール系?それともインド系? それはヒ・ミ・ツ。


 

プノンペンの中央市場へ続く道。サイゴンに比べてバイクの量が少ないので歩きやすい。サイゴンよりはバイクに比べて車の比率が高いみたい。中古自動車も輸入できるようだし、関税がベトナムより安いのかもしれない。

プノンペンで食べたご飯。二人で70円ぐらいだったと思う。安いけどあまり清潔ではないので、サイゴン育ちのP氏でも躊躇してました プノンペンのシントー(フルーツジュース)兼チェー(ベトナム風ぜんざい)やさん。カンボジア語ではそれぞれ何というのかはしらない。風情はベトナムと似ている。

ベトナムで言うバインミーというフランスパンのサンドイッチとシントー。シントーはコンデンスミルクの味が濃すぎて、ミルクをのんでるかんじ。生卵も入れるか?ときかれたので丁重にお断りした。コンデンスミルクの味はベトナムよりタイのものに近かった。ちなみに、グラスや楊枝たてはベトナム製と思われる。 キリングフィールドに立つ慰霊塔。 内部は地面から天井まで、人の骨で埋め尽くされている。衣服もある。

慰霊塔周辺はあなぼこだらけ。柵で囲われた部分には「首のない犠牲者が103人出土」といったような案内がある。 市場で売られていた蜘蛛の佃煮みたいなもの。これはさすがに。。。 こじゃれたパン屋さんで食べたカスタードパイ。あたためてくれて見かけはとてもおいしそうだったけど、生地が妙にこなっぽかった。外見にだまされてはいけない。

トレンサップ川。人々が夕涼みにやってきている。僧侶の姿も多く、観光客相手に英語の練習をしているらしい。女の子のグループと男の子のグループが話したりして、出会いの場にもなっていたりするようだ。P氏も女に子にじろじろみられて、きゃっきゃとわらわれてました。各国の国旗が掲げられているが、ベトナム国旗はアメリカとフランスの間にあって意味深である。 王宮に沈む夕日。このロマンチックな光景をP氏と見ようと思ったのに、彼はカメラをもってとびまわってました。ちなみにここでP氏の知り合いのベトナム人に会ってびっくり。 川沿いのこじゃれたレストランで食べた夕食。牛肉のスープはうまかった。

シェムリアップへ向かうエクスプレスボート。 水上家屋。よ〜くみるとノンラーがうつってます。老眼の方(うちの両親ね)ごめんなさい。 シェムリアップに着いてようやくありついた昼食。鶏肉が日本のブルドックソースのような味のソースでいためてあって、懐かしい味がした。結構おいしい。

 あまやんです。蜘蛛の写真には圧倒されました。なんでかというと、これとよく似たタランチュラで、生きてるやつをこないだ家の近所のホームセンターで一匹6000円で売ってるのを見たからです。これだけだとすごい金額!!でも、日本でホームセンターでタランチュラなんぞ売っても、いったいだれが買うんでしょう?ちなみに蜘蛛はどんな味がするのか?あまやんは食べたことないけど、調べてみると、なんとチョコレートに近い味らしい。それから、お腹の部分は、いかにも蜘蛛の糸、というような味がするらしい。でも食べたくないね。タイ料理ではタガメのスープというのがあって、シンナーやベンヂンみたいな臭いがします。ベトナムでもけっこう虫を使った料理はあるのかな?バイタクといえば、プノンペンのバイタクは必ず野球帽をかぶってるのがおもしろいよね。ふだんから野球帽をかぶっている人はバイクに乗る時は間違えられないよう脱ぐのかな?プノンペンは何もないし治安もよくないけど、川を中心とした街の雰囲気はインドシナ共通のものがあるよね。アンコールのあるシェムリアップはさらに田舎。これが本当にカンボジア第二の都市、と思えるくらい。今では道路も鋪装されて、お店とかもできたのかな?ちなみに昔、シェムリアップであまやんが泊まったスマイリーゲストハウスという安宿は一泊5ドルでバナナとマリファナがなんと無料で、西洋人に大人気の宿でした。生卵は食べてはいけないのかな?あまやんの行きつけの阪神百貨店地下のジューススタンドのミックスジュースは140円のレギュラーと200円の卵入りがあります。あまやんはレギュラーの方が好き。でもベトナムやカンボジアのミックスジュースはおいしいよね!


Vol.022 「サイゴン→プノンペン陸路の旅(長くてごめんね)」 2002.1.19

 年末年始の旅行は、行きは陸路、帰りはバンコク発券の1年オープンチケットを買って安くあげようというも。ベトナムで格安ツアーで有名な「シンカフェ」にて、サイゴンからプノンペンまでのチケットを買うとなんと6ドルという安さ。そのかわりカンボジアに入るビザ代が25ドルほどかかりますが。朝9時に出発し、プノンペンに夕方5時に兆着予定。道は悪いと聞いてるけど、ま、大丈夫でしょう、と出発したのですが・・・。
 サイゴンから国境の町モックバイまでは道も良く、途中ちょっと渋滞があったものの快調にすすみ、国境に到着したのは11時半ごろ。この分ならプノンペンに明るいうちにつけそうだなんて思っていたのは甘かった。国境の施設のなかにシンカフェのまさしくカフェがあり、そこで待たされること1時間! 団体だったこともあるけれど、ベトナム手続きの遅さには毎度頭にきます。イミグレーションオフィスに呼ばれて、またそこで立ったまま待たされること30分。ベトナム人はなぜか一番最後にパスポートが渡され、しかも、出国者であるP氏に係官が一括して「みんなに配ってね」と渡されたため、照れ屋のP氏は真っ赤になりながらみんなの名前を読み上げて渡したのでした。そんなわけでどん尻で出国。
 歩いて国境を渡るという体験は日本ではできないこと。私は一度、シンガポールからマレーシアまでの国境を歩いて渡ったことがあったけど、そのときは海ではっきりと2国がへだてられていたので、国をまたいでるな〜、と実感ができたけど、モクバイとカンボジア側のバベットの境には川も山もなにもなく、平坦なところをちょろっとあるくだけなので、いったいどこを境目に国境を定めているのか、ひょっとしてちょっとぐらい間違ってるんじゃあないの、なんて気持ちになってくる。
 ようやくカンボジア側の門をくぐると、いきなり道が悪くなる。建物もカンボジアチックにしあげてあるが、粗末である。入国書類を渡されて(飛行機だと飛行機の中でもらえるけど、バスはそんな気の利いたことしてくれない)記入して、入国カウンターにならぶと、これがものすごい長蛇の列。シンカフェのバスだけでなくほかのバスも先に到着していたため、私たちはその最後尾につくことになった。パスポートをチェックしている係官はこんなに並んでいるのに一人だけ。その人がせっせとハンコを押している周りに数人係官がいるのだが、その人達はハンコを押している人に話し掛けたりして、仕事の能率を悪くすることに努めているらしい。ひたすら日陰のないところで、待つ、待つ、待つ。もし雨季だったら悲惨である。やっと私たちの番がまわってくると、係官のおにいさんがベトナム語で話し掛けてきた。「二人は結婚しているのか。仕事はなにをしているのか」とか芸能レポーターのようである。他の人にはぜんぜん話し掛けていなかったのに、並んでいる人が残りわずかなので気を許したらしい。さっきまで係官に話し掛けていた脇にいたおじさんも「日本人?こんにちは。ベトナム人?シンチャオ」などとやけにうれしそうである。もう、こんなことしてる間にバスがいっちゃったらどうすんだよ! と怒鳴りたいのをおさえつつその場を立ち去り、バスを探すがそれらしきものが見つからない。と、脇にはいった駐車場のようなところを見ると、10人ぐらいでいっぱいになるおんぼろミニバンみたいなバスが何台かあった。サイゴンからは快適なマイクロバスだったのに・・・。げんなりしているところに、バスの運転手が「旅行者のリストもってる?」なんてきいてきた。え?それじゃ、乗客が誰かわからないってこと??? どうやら、ベトナム側のシンカフェの職員が、乗客にリストを託すことになっているらしく、それが見つからないらしい。適当に数を数えて出発してしまった。国境でもたもたしていたら、本当にバスに乗れなかったかも・・・。
そうそう、国境でちょっととまどうことがあった。ベトナム人だけはベトナム側の門のところで2000ドン(約16円)支払わされるのである。そして、ベトナム側のイミグレーションでも20000ドン(約160円)支払わされる。なぜベトナム人だけ? もちろん日本のガイドブックにはベトナム人の出入国のことなど書かれていないので、かなりどぎまぎしてしまいまった。国境のあたりでは、ベトナムから持ち込んだ大量のプラスチック製品などを荷車で押している人がたくさんいたので、持ち込む荷物によって課税されているようだ。でも領収書も何もくれないので、係官がぼったくってるだけ?という気がしないでもない。
 ようやくバスが走り始めたのは2時半。国境で3時間も足止めをくらっていたのだ。国境のカフェでパンを二人で1個食べただけでお腹もすいている(プノンペンまで、食事休憩は結局なかった)。道はカンボジアに入ったとたん、全く舗装されていない道を走ることになった。まさに今、日本からのODAなどを使って道を造っているところのようである。バスのエアコンの効きが悪いので窓を開けたいけれど、窓を開けると砂まみれになってしまう。窓を閉めていても入ってくる砂と汗との戦いである。
 陸路の旅の良いところは、まわりの景色をゆっくりみれるところ。あまやんが前にいっていたけど、ベトナムからカンボジアに入っても気候が似ているため、景色そのものは大きく変わらない。でも良く見ているといろいろな違いがわかってくる。まず広々とした田んぼが広がっている景色はベトナムのメコンデルタと同じであるが、農作業をしている人の姿が違う。ベトナムでは「ノンラー」と呼ばれる三角の帽子をかぶっているが、カンボジアでは「クロマー」という布を頭にまいて日差しを避けている。私も遺跡めぐりの時は首ばかり日焼けするのを防ぐために首に巻いていたけれど、汗を吸い取るし、巻いているほうが炎天下ではかえって暑くない。さらに、国境近くはベトナムの農村の家、あるいはちょっとした街ではベトナムと同じフランスチックな家が見られたが、中心部に進むにつれて、農村部は圧倒的に高床式の家が多くなる。それから牛。ベトナムの農村では黒い水牛を飼っているが、こちらは白っぽい牛を飼っている。またブタを放し飼いにしているのは驚いた。ベトナムではまずみかけない。多分盗まれちゃうからだと思うけど。
 そんなことを思いながら、ときたまうとうとしていると、日が傾いてきた。おいおい、プノンペンにはいったいいつ着くんだ、と思っていると、6時半ごろ、街に入った。ひょっとして着いたの???と思っていたら、ここでメコン川を渡ることになるので、フェリーに乗るのだった。しかもフェリーが出るのは7時半。仕方なく、バスの外に出たけれど、カンボジアリエルに両替もしてないし、このときはカンボジアの南部ではドンも流通しているなんて思ってなかったし、すきっぱらをかかえて、ジュース売りの子から最初1本1ドルといわれたのを3本1ドルにねぎって(これは結構安い買い物だったのがあとで判明。缶入りジュースはタイからの輸入なので高いのだ)なんとか空腹をごまかす。そうこうしていると、周囲に若い男の子達が群れてきて、こっちをみてにやにや笑っているのだ。ベトナムでそういうやつは気をつけないと、と思ってくらしてきた私たちは、カバンをしっかりもったり、彼のお尻のポケットを注意したりなんかしてたんだけど、そのうちおずおずと、ちょっと優等生っぽい男の子がたどたどしい英語で話し掛けてきた。「どこからきたんですか?」 よくよく話を聞いてみると、彼らはこの船着場の近くにある英語学校で学んでいる学生で、年齢はみんな15,6歳、旅行者のバスが止まるたびにここにやってきて、英語で話し掛けて練習をしているそうである。ベトナム人の観光客なれした物売りとは違い、お互いひじでつつきあいながら「お前話し掛けろよ〜」なんて感じで順番に話し掛けてくる姿はかわいい。何を話していいのかわからないので、「年齢は」「二人は結婚しているんですか?」「兄弟は何人ですか?」「今回旅行ではいくらいお金を払う予定ですか?」などと、取調べを受けているような質問内容だったけど、なんだかほんわかするひと時をすごしました。彼らにとっては旅行なんて夢のまた夢、6ドルのバス代でも安いと思えないし、英語がしゃべれるようになったらどんな仕事ができるのか想像もつかない。同じ国内とはいえ、アンコールワットにも行ったことはない。そんな彼らの未来が明るいことを祈りつつ、バスはフェリーに乗り込んだのでした。
 バスに乗った後、そういえば彼らはかなり男前がそろっていたな〜、写真撮ればよかったな〜、などと考えつつ、フェリーはあっという間に対岸につき、真っ暗な舗装されていない道をひた走る。川辺には蛍がちらちらしていたりしてきれいではあるが、それにしても明かりが少ない。家はちらほらあるのだが、家に電気がついておらず、部屋の中で明かりがちらちら動いている。よく見るとテレビである。電気代が高いのだろうか、テレビの電気代はけちらないけど、電灯は必要なときにしかつけないのかもしれない。
 もうつくだろう、もうつくだろう、と思ってプノンペンに到着したのは9時をすぎていた。12時間の旅である。以前、フエからサイゴンまで一気にバスで25時間かけて下ってきたことはあるけれど、バスも道もはるかに快適だったし、途中で食事もきっちり取れたし、今回の旅はそのとき以上にくたびれた。とりあえず、ついたところにある旅行会社で両替をする。このとき両替表をみてびっくり。ドンが普通に両替できるのである。国境付近に闇の両替屋は大量にいたけど、ドンは国外持ち出し禁止だし、正規に両替できるとは思ってもみなかった。いざとなったらドンだけでもカンボジア旅行ができることが判明。
 食事をしたあと、ホテル探し。「プノンペンビラ」というゲストハウスが良かったと人からきいていたので、疲れた足を引きずりながらたどり着いたが、満室。しかたなく、近くにあったよくわからない中国系のホテルに入ってみる。中華系ホテルは連れ込み宿だったりすると聞いていたけれど、そんなこと考える余裕もなく、ダブルベッドのルームがひとつだけあいていたので、そこにチェックイン。が、部屋に入ると、なぜかバスルームの入り口に男女が抱き合っているポスターがはってある。手には何か箱みたいなのをもっているので、それの宣伝みたいなんだけど、へんなだな〜と思いつつ、テレビをつけてびっくり。衛星放送が何チャンネルもあって、ベトナムのミニホテルよりすごいじゃんと思っていたら、いきなり無修正のエッチビデオのチャンネルがあったのである。ひょっとして、ここは連れ込み宿??? そういえば受付のにいちゃんは英語があまりうまくなかったし、「2泊したいの?」って何度も念をおしてたしな〜、と思いつつ、砂まみれになっているバッグの汚れも十分に落とさないまま、疲れて眠ってしまったのでした。そして、宿をかわるのも面倒なので、そこで2泊。1拍目は10時以降のチェックインなので13ドル、2泊目は6時以降のチェックインなので15ドル、と妙な会計の仕方で、ますますその疑いを深めたのであった・・・。
  

カンボジア側から国境を撮った。砂にまみれて、車もえらく汚れている。 カンボジアの高床式の家。バスがあまりにもゆれるので、一瞬止まった隙にとったため、こんな画像しか残ってませんでした。1階部分は家によって倉庫にしたり、ハンモックをつるしたり、食卓を並べたり。
途中の橋が未完成で危険だったため、乗客がいったん降ろされたときにとった写真。 メコン川の船着場のジュース売りの子供達。英語学校のデップチャイ(ベトナム語でかっこいい男性)の写真もとっておけばよかったと、激しく後悔・・・。


 あまやんです。カンボジアとベトナムはとても似ているところが多いけど、過去の歴史をみても、お互いに征服しあったりして、あまりお互いのことをよく思っていないようなところがあるみたい。ちょうど日本人と韓国人や、ギリシア人とトルコ人のような関係なのかもしれない。大きな違いは宗教で、ベトナムが日本と同じ大乗仏教で大衆の救済を主眼とするのに対し、カンボジアやタイは小乗仏教であり、個人の精神の救済を主眼とするので戒律が厳しく、黄色やオレンジの袈裟を着て修行したり、仏像もやせている、というのが特徴です。カンボジアは分類的には社会主義国なんだけど、王様がいたり、お金を出せば何でもあり、というような国、でも資本主義でもない、という不思議な国ですね。ベトナム人もカンボジア人も、とても誇り高い民族であるんだけど、特にカンボジア人は、クメールルージュや虐殺、また、今回のタイの女優発言にはじまるプノンペンのタイ大使館焼き討ちにみられるように、かなり血の気の多い血気盛んな民族、というような気もします。ノンラーとクロマーの話は、それぞれ自分の民族を代表する文化を、大事にしていくというあらわれなのかもしれないね。だって、カンボジア人は絶対にノンラーをかぶらないし、その逆も絶対にないでしょ。ちなみに民族の誇りも血の気もなにもないあまやんは、数年前にノンラーをベトナムで買ってきて、最近までマンションの草引きの時などにかぶっていって作業をしたりしてたんだけど、悪目立ちするのでやめなさいといわれて嫁はんに捨てられてしまったことがあります。でも、最近では、日本では100円ショップでまでノンラ−が売られるようになっていて、便利なものはどんどんとりいれていくのが日本人の特性なんかな、とも思ったのでした。


Vol.021 「ベトナム人アンコールワットをみる」 2003.1.17
  
 12月28日から1月5日まで、私とP氏でカンボジア、タイへの陸路の旅をしてきました。今回の旅行のテーマは「アンコールワットで12世紀に思いをはせ、バンコクで都会の空気を味わって帰ってくる」というもの。私は大学で就職の何の足しにもならなさそうな「史学科」に入ってしまったぐらいかつては歴史好きで、高校時代の私の夢は「ピラミッド、アンコールワット、ボロブドゥール、マチュピチュは死ぬまでにみるぞ!」というものでした。とりあえず6年ほど前にピラミッドだけは制覇していたので、今回で2個目の制覇になります。でも、連れのP氏は別に歴史が好きというわけでもない。ベトナム人のカンボジアへの印象といえば「黒い人(ベトナム人にとっては美しくない)人のいる、遅れた国」であるし(日に焼けると「カンボジア人になっちゃったね〜」ってからかわれます)、カンボジアに行くというと「クメールルージュに気を付けて!」(もちろん冗談ですが)というぐらい、クメールルージュ、ポルポト=虐殺イメージが強く(これは日本でもそうだと思うけど)、隣国であるのにカンボジアが王国であることもよく知らない。またP氏はカンボジアへ戦争で行ったことがあるし、逆にカンボジア人からみても、ベトナムに侵略されたり、フランス統治時代にはプランテーションの管理人としてベトナム人がやってきたり、ということもあって、ベトナム人に対する感情はあまりよくないようである。そんなわけで、P氏がカンボジアを楽しめるかと心配だったのですが、アンコールワットを見たとたん、P氏の中には感動があったらしく、写真をびしばしとりまくり、「遺跡をなおしている人は大変だよね。10年経っても多分むり!」と、瓦礫の山を見ながら遺跡の修復にまで思いをはせ、どこの国が修復に参加しているかチェックしたりしていたのでした。
 私がアンコールワットに魅せられたひとつは、アーチを使わずにあれだけの大きな石造建築をつくったこと、そして、構造的に中央塔(須弥山)がみえたり隠れたりするドラマチックな仕掛けが施されているところ。その辺はご存知の方も多いと思うのですが、下の写真をご参照ください。
 しばらく「オ〜!サイゴン」はカンボジア、タイの話題になってしまいそうですが、その辺はご容赦を。

アンコールに向かってうっそうと木が生えた道をバイクではしりぬけると、「地雷を踏んだらサヨナラ」の気分だが、正面参道に立つと、中央に並ぶ3つの塔が
みえなくなってしまう。
西塔門までたどりつくと、門のなかからちょこんと中央塔(須弥山)がみえる。

現在乾季で、観光シーズンであるとともに、修復シーズンでもある。かつてピラミッドの修復をしていたのを見たときより、現地の人は働きものに見えました。

西塔門の中にはいると、くっきりと3つの塔が見えます。 西塔門をでると、ワッと視界がひらけて、ドラマチック。 だんだん中心部に近づいてくるとワクワクする。

参道の途中に階段があって、突如中央塔が見えなくなってしまう。現在は昇りやすいよう緩やかな木の階段が架けられているのでちらっとみえているが、実際は
もっと急な階段なので全く見えなくなるはず。
階段を昇りきったところ。また中央塔が見えます。 中央塔を囲む第1回廊の入り口に近づくと、また中央塔が隠れてしまう。

内側の第2回廊で一休み。中央塔のすぐそばにいるはずなのだが、姿は全く見えない。 第2回廊の内側にある階段を昇ると、目の前に急な階段が現れる。へ???話には聞いていても、本当にこれを昇るのかと思うとかなり躊躇します。 やっとの思いで昇ると、突如大きな須弥山が!近すぎて写真に収まりきらない。

行きはよいよい帰りは怖い。とうちゃんかあちゃん、元気なうちに一度行ったほうがいいよ。 よくレリーフを見てみると、製作途中のところも結構ある。占いで完成日を決めたので、出来上がってなくてもそこで工事が終わりになってしまったらしい。 ひょっと柱の陰からのぞくと、誰も見てくれなさそうなところからもちゃんと女神が微笑んでいる。一つ一つ表情が違うし、遺跡ごとにも雰囲気が違うので、比べてみると面白い。

 あまやんです。ピラミッドとボロブドゥールとアンコールワットとマチュピチュ、ピラミッド以外はあまやんは行ったけど、3つの中でどこが一番すばらしいか、というとやっぱり規模の大きさ、細工の緻密さ、という点で、アンコールワットは頭抜けているような気もする。自然の地形との調和が素晴らしいマチュピチュも、一日あればだいたい見れてしまうけど、アンコールワットは、近隣のバンテアイスレイ遺跡なども含めたら、全部見るのに3日くらいはかかってしまう程の規模の大きさ。おまけに行きやすいので、やっぱりアジアの遺跡の王様はアンコールかな。ちなみにあまやんがカンボジアに行ったのは1997年。当時はまだポルポトも健在で、カンボジア西部はポルポトの支配下にあり、観光客は行くことは不可能で、たまにいってきた人があればすごい話題になる、という感じでした。彫刻の美しいバンテアイスレイ遺跡なども、いつゲリラが出るかわからないので、行くためには軍の車を買収して、機関銃をもった兵隊を護衛につけて、何ケ所かある軍のチェックポイントでお金をわたしたりして、やっと観光できる、というようなとこで、なんでこんなことまでして遺跡を見てるのかな、というような状態だったでんですが、ポルポトの死後、ここ数年で政治的にもやっと安定してきてようやくカンボジア全土に平和が訪れました。でも、今のカンボジアは観光意外にたいした産業もない世界の最貧国のひとつ。貧しいけど活気にあふれたベトナムとはかなり感じが違います。しかし、アンコール王朝時代はタイやベトナムも支配下におさめ、栄華を誇った国。すばらしい文明の遺跡と、現在の状況を比較したら、なんで今はこうなんかな、とちょっと寂しくなるね。


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